漫画「父・たけしの死」④~父の生い立ち~

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漫画「父・たけしの死④」のあとがき

2019年4月のエピソード|大(小学3年)吟(小学1年)
父は岐阜県高山市の末っ子として生まれました。利発的な子供だったので、それはそれは母親からたいそうかわいがられたそうです。
小学生の時に描いたという油絵を見せてもらったことがありますが、まるで大人が描いた絵のようでした。
父と母は学生時代に今でいうコンパのような、ダンスパーティ(なんておしゃれ)で知り合ったそう、そこで母曰く、母が一目ぼれしたとのことなのですが、お互い惹かれあったのでしょう。
今と違ってスマホなんて無い時代、当時母は看護学校の寮生活で、寮の電話を利用して連絡をとっていたそうです。最初に一緒に見た映画は「サウンドオブミュージック」とのこと。
父と対照的に母は妾の子として暴力的な父のもとで厳しく育ち、早く家を出たかったそう。そのようなことから漫画のようなかたちで、早めの学生結婚の流れになったようです。
しかし、当時学生結婚は就職活動には不利だったとのこと。それは承知で結婚して面接でも正直にそのことを告げた結果、受かった会社は2社のみだったそう。
そのうちの1社がオリエント・リース株式会社だったのでした。

父の会社での様子はわかりませんが、家での父を見ていれば、会社での様子も想像がつくというもの。

当時、子供で、漫画家になることを夢見ていた私は「毎朝同じ時間にまじめそうな服を着て会社に行くなんて・・・おーやだやだ、絶対にサラリーマンなんかなりたくないわ」くらいにしか思っていませんでしたが、大人になって、やっと父の偉大さに気づくのでした。

家での父は、普段忙しい分特に外出することは無く、日曜日は着物に着替え、熱燗を呑みながらテレビで相撲を観戦していました。

そしてお出かけすることがあるときは必ずスケッチブックを持っていて、ふとした時に風景などをスケッチし、時間があるときに水彩で色を付けていました。

私の絵画好きと酒好きは父の血をついだようです。あまり子供に褒めることが無い父でしたが、私が小学校1年生の時からギャグマンガを描くようになり、父は嬉しかったのでしょう、会社で全頁のコピーをとって持ち帰っていました。

冗談が好きで、小さな頃はよく父のくだらない冗談に笑い転げていた記憶があります。
が、年頃になって笑えなくなってくると冷めた目で見ていたように思いますーお父さんごめんなさい。

バリバリ働いた分、65歳で自主的に引退、母も長年勤めていた看護師をやめ、ふたりでゆっくりと朝ごはんをとる生活になりました。

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